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チェンバロとの出会い

小学生の低学年の頃でした。



それまで、ずっとピアノを習っていて、


このままずっとピアノで行くかなぁ、なんてぼんやり考えながら過ごす毎日。




ピアノのオーディションの課題曲だった、ルイ=クロード・ダカンの《かっこう》。


母がCDを探して買ってきてくれました。



記憶に残っているのは、


「チェンバロのCDしか見つからなかったけど、聴いてみよう」


と少し申し訳なさそうにも聞こえる母の言葉です。




CDデッキに入れて、11番に合わす。


ピノックが演奏するチェンバロの音色。




かっこいい。





初めて聴くチェンバロという楽器の音に、わたしは心を虜にされました。


このCDをきっかけに、わたしの中にチェンバロという楽器が、


初めて存在感を持ち始めることになります。




チェンバロが弾きたい。




それからは、ただただ、チェンバロの良さを両親に訴える(笑)日々。


今のようにインターネットも発展していませんでしたので、


記憶が定かでないのですが、音楽辞典でしょうか、紙の媒体を引っ張り出し、


チェンバロってこんなにも種類があるよ!すごいね!チェンバロってきれいやね!


とチェンバロが好きだ、チェンバロが弾きたい!という気持ちを伝え続けていました。




まだ小学生で先のことでしたが、音楽の大学の募集要項を調べて、


チェンバロでも大学に入れることを知り、チェンバロでも大学に行けるんだ!って、


安堵した気持ちを思い出します。



チェンバロが弾きたい。




そう思い始めてから、数年後、念願のチェンバロの生のコンサート。


インターネットやSNSも今とは違って、まだまだ発展していなかったころ。


奈良の片田舎に住んでいることもあり、情報もなかなかキャッチできない中、


両親が大和高田市にて開催されるチェンバロのコンサートを見つけてくれ、連れて行ってくれました。


まさか、今舞台で演奏しているチェンバロ奏者の方に数年後習うことになるとは、


そのころは思いもしていませんでした。




中野振一郎先生。




先生の指先がチェンバロに触れた途端、豊かな薫りが漂うようかのようです。


先生のチェンバロの音色に魅了され、わたしの気持ちは、チェンバロに夢中になっていきます。



終演後に買った先生のCD。

サインをしていただき、そして握手をしていただきました。

演奏会から帰ってからは、毎日のようにCDを聴いていました。言葉通り、擦れきれるほどに。




そして、数年後、中野振一郎先生に習うことになったのです。

こうして、チェンバロにたどり着きました。



桐朋学園大学では、有田千代子先生に、


そしてフランスでは、アリンヌ・ジルべライシュ先生に、ご指導いただきました。


オルガン、フォルテピアノ、クラヴィコード、アンサンブルの先生、モダン楽器の先生、


ソルフェージュの先生、、音楽史、エレクトロ二クス、、、数えきれないたくさんの先生方。


自分の進みたい道へとあたたかく応援してくれる方々。



これまで出会ったどなたが欠けていても、今の私はいないでしょう。




~~~~~~



初めてのリサイタルでは、アンコールに、ダカンの《かっこう》を弾くことを、


チェンバロを始めた頃から決めていました。


幼い頃、リサイタルなんて何かもまだわかっていなかったと思うのですが(笑)。



フランスから帰国して、初めて開催する故郷、奈良でのソロリサイタル。

まさか、自分が現代音楽をするようになっているとは想像もしていませんでした。


藤井喬梓先生に、故郷の奈良を舞台に《奈良組曲》を作曲していただき、


また初演に立ち会ってくださったこととても嬉しく思っています。


アンコールには、応援してくれる両親への感謝の気持ちを込めて、


ずっとこの日が来るのを待っていた 《かっこう》 を演奏しました。



それぞれの演奏家がそれぞれの楽器を愛しているように、


わたしは、チェンバロがどの楽器よりも大好きです。


先生の演奏を聴いて、わたしがチェンバロの虜になってチェンバロを始めたように、


私の演奏活動やレッスンを通して、


チェンバロの音を聴くことが、そして弾いてみることが、


その方の心を穏やかにそして時にワクワク・ハラハラ・ドキドキしていただけるように、


これからもチェンバロとともに、たくさんの再会と出会いを楽しみに人生を歩んでいきます!




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