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チェンバロの響板には、


鳥や草花、木の実や果実、虫などが描かれていることが多いです。




17世紀当時、響板は、庭を表現されているとも言われ、五感を象徴し、


描かれる動植物で森羅万象の過ぎ行くはかなさを表現しているともいわれていました。



チェンバロの美しい響板。



自宅のチェンバロには、いちごが描かれているのですが、


裏庭で育てていたいちごが色づき始めた春。今年の春は、家にこもらざる負えなくなりました。




手刺繍は、何とも言えないとても温かみがありますね。


直線を縫っても、さしで線を引いたようにまっすぐでなく、揺らぎがある。


きっとこの揺らぎが温かみを作っている一つなのでしょう。



刺繍に初挑戦だったので、刺繍の本を買って、


いろんなステッチやスタイルがあることを知ることから始めました。


物事、何でもそうですが、手刺繍も知れば知るほど、奥が深いですね。



せっかくなら、自宅のマイチェンバロの響板の刺繍にチャレンジ。





刺繍をやりたいと思ってずっと前に購入していた、セットを引きずり出してきました。



こんなにも自分のチェンバロの響板をまじまじと見ることは、


今までにそうなかったのでとても良い機会でした。




様々なステッチを駆使しながら進めていきます。


長い時間をかけて出来上がった響板の刺繍。



眺めていると、せっかくならマイチェンバロ作ってみようといつからか、


鍵盤部分の刺繍に取りかかっていました。


刺繍ではこの部分が一番難しかったように思います。


(モダンピッチ、a=440hz)



即興で作ったため、本体の部分の組み合わせなど、かなり脳みそが疲れてしまいました。。




この様なフェルトで作るチェンバロの工程とは、何のくらべものにもならないけれど、


いつも舞台で演奏させていただいている楽器の数々を思い出し、


チェンバロの製作家の方々には、尊敬の念が深まります。



(バロックピッチ、a=415hz)



小さなマイチェンバロ。


モダンピッチにしたり、バロックピッチにしたり、上鍵盤押してカプラー入れてみたり、


ひとりでもくもくと楽しんでいます。



(搬出準備中)




次回は音が鳴るチェンバロに挑戦したい!

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Mamiko Someda

更新日:2021年3月13日



今回は、リサイタルの開催が決定した時点ですでに残り2か月ということだったので、


いつになく急ピッチで準備を進めていました。




最近は、ネットでの宣伝でシェアをする方法も多いですが、


やはり、実際に手に取っていただける紙媒体、チラシは、よりダイレクトに伝わるのではと


考えています。


時間がないけど、、どうしても、チラシの写真を撮りたい!



いざ、撮影!




まずは、座った体勢から、、撮影を試みる。


そこから紆余曲折あり、寝ころこんで、撮影することに、決定。

青くして ”イカシタ”感じ にしたいと、青いフィルムを入れて、寝転んで、、



どのような写真が撮れているか確認させていただいたとき、ぞっとしました。


かこいいと思って使った青いフィルム、寝転んだ場所の畳との相乗効果か、


まるで殺人現場かのよう。。





畳はだめだということで、我が家にある一番素敵な布、、、


チェンバロの布に寝転ぶのは、忍びなかったです。




上向くか、仮面どうするか、いやはや、ポーズを決めるのは大変でした。

まっすぐに寝てみる。。



これは、疲れてきておかしくなっている状態です。。



横を向いた方がいいということになったものの、

同じ方向を向き続けるのは、首がかなりしんどかったです。



というわけで、チラシに使っている写真は、奇跡的にとれた数枚です!



写真を撮るのは好きなのに、撮られる側としてはかなり弱く、

ポーズをとりレンズに視線を向けるのはものすごく苦手なので、

このような構図になったかもしれません。



今回チラシに使う写真を撮って、それぞれのコンサートのテーマに合った、プロフィール写真を撮ることも、コンサートの内容を伝えるのには、とても重要なことだと感じました。




チラシを手にしてくださった方、ありがとうございました!


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Mamiko Someda

更新日:2021年3月13日

《 仮面の演奏会 》 無事に終演いたしました!

温かいお客さまに迎えられ、わたしのマスク越しのお話にも一生懸命に耳を傾けてくださいました。


人前で話をすることは、得意とする方では決してないので、

マスクという声を遮断してくるまた一つ大きな壁ができ、はっきりと話そうとすればするほど、

酸欠になっていくという事態に、一時はどうなるかと思いました。


やはり、それぞれのチェンバロによって、

表現の細部にかなり大きな変化をもたらすことも、再認識・再確認させられました。



普段は自宅のチェンバロで弾いているので、

当たり前のことですがそのチェンバロの特性、タッチの持って行き方や、響かせ方、鍵盤のストローク、爪のしなり方など、体にしみこんでいます。


それぞれのサロンに置かれているチェンバロたちの状態・個性をくみ取り、

作曲家の方が楽譜を通して奏者へ聴衆へ伝えていることと照らし合わせ、

表現していくことへの重要性を、強く感じました。


リハーサル後にフラウト・トラヴェルソ奏者が楽器をくるくると布に大事そうにしまい、

マイ楽器を愛おしそうに鞄に入れその場を去っていく姿にあこがれ、 今回は愛するマイチェンバロを小さく小さくしたオチビチェンバロを連れていきました。




鞄に入れはできなくとも、いつかマイチェンバロと一緒に

コンサートを舞台で迎えられる日がくるといいなぁと思います。


コンサート後、ディスタンスをとりながらも、

お声がけくださるお客様、そしてチェンバロへチェンバロのコンテンポラリーの世界へ、関心を寄せてくださるお客様の表情を拝見し、大変励みになりました。



ご来場くださった方々、スタッフとして温かくフォローしてくれた友人のみなさん、そしてサロンオーナーさま、ありがとうございました!

コンサート後に、あたたかいオレンジケーキを食べました。

甘いもの、食べたくなりますね。

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