昨日は朝起きて、パリのノートルダム大聖堂の火災を知り、あまりのショックでしばらく信じられなく何が何だかわからずらず、、思考が停止しました。胸が押しつぶされる思いです。。
(2015年夏、パリ)
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クラヴサンに触れている時は、自分の中の自分を開放(解放)できる気がしています。
深い哀しみにくれて、大粒の涙を流すこと
辛くて耐えられなくて泣き叫ぶこと
大喜びになって、飛び跳ね走り回ること
大好きな食べ物をお腹いっぱい食べること
行きたいところへ、好きな時に行くこと
いたずらをすること ...
クラヴサンを演奏すると、いろんなわたしに出会えます。
(フランスでの練習室の窓から)
留学するまでは、そうではありませんでした。
留学し始めた最初の頃は、コンセルヴァトワールに籠って、がむしゃらに練習していました。
そんな頃、恩師からの言葉に、はっとさせられた日がありました。
" わたしはね、クラヴサンが人生の全てではないと思うのよ "
" 楽しまないとね クラヴサン弾くことも 遊ぶことも 食べることも "
決して押し付ける言い方ではなく、先生とお話しする時にするするとわたしに話されました。
頭では理解できても心で感じれたのは、留学を終えようとしている頃でした。
(コンセルヴァトワール前の河にて)
チェンバロに触れている時は、
端っこの方でぎゅっと手で足をおさえて体育座りしながらずっとずっと待っていてくれた、
わたしの中のわたしが扉を開けて出てきてくれます。
重い扉が留学生活の中で、少しずつ開いてきていたのでしょうか。
扉の向こうにいるわたしに出会うために、わたしはクラヴサンを演奏するのかもしれません。
扉が閉じないように
閉められてしまわないように
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