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懐メロ。


ウィキペディアによると、


懐メロ(なつメロ)とは、ある程度年月の経たかつての大衆歌謡で、聞くとその歌が流行した頃が懐かしく思い出されるような歌の総称。

かしのメロディー”の略語で、狭義には1930年代ー1950年代まで大衆歌謡の主流であった「流行歌」の俗称。



だそうです。




最近楽譜をめくりながら曲を探していて、


あ、この曲 ...



すぐにタイムスリップできる 私の"懐メロ"を発見しました。



最近、留学時代の記事が多くなっていますが、今回もまた、フランスでの話になりそうです。






フランスに渡ったのは、2月でした。


夜にストラスブール駅に着きました。


今でも降り立った時の景色と身体にまとわりつく寒さが蘇ります。


その年は、私が来る前、大寒波が来ていたそうで、

コンセルヴァトワール前の河が凍ったと聞きました。


フランスでの初めての冬。



歩いていると涙が勝手に出てて来る寒さ。


鼻が痛い。



それまで私が日本で迎えていた冬とは全然違いました。




そんな初めてフランスで過ごすある日の冬の夜、練習室で練習していた曲。


.........


さて〜、どの曲がいいかなぁ〜と

楽譜を開けて、弾いてみます。



途端に蘇る


ある日の夜の練習室の匂い


外の冷たい空気


チャレンジする気持ち


夜に練習室を出てトイレまでの短い廊下、 帰りに教室の鍵を渡すところレッドショッセーで、毎日の様に会う人。

そういえば、コンセルヴァトワールが閉まる22時の少し前、21時45分に「もうすぐ閉まるよ!」と

各部屋をまわってくれる、おじさん。どうしているかな。


一見強面なのですが、とっても心優しく、誰にでも気さくに声をかけてくれる優しいおじさんです。

受付で毎回、フランス語の発音を特訓されました。




この曲を弾くといつでもあの頃が蘇る。あの頃に戻れる。


思うように弾けず、毎日試行錯誤した曲。



この曲は、フランスに降り立った間もない頃を懐かしむと同時に、


全てが新鮮でワクワクと希望を胸に、チャレンジした日々を蘇らせ、


今の私に、音楽のことだけに限らず


前へと進む力、未知なる道へと進み歩む力を


強く強く与えてくれる大切な "懐メロ" です。




こうして過ごしている日々にも

未来のわたしが、懐かしみそして力をもらう "懐メロ"がどのかに潜んでいるんでしょうか。


......


(裏庭のミニ家庭菜園。初めて育てる育てるスイカ)




あつーい夏が来たって

この曲を弾けば、

いつだって途端に極寒フランスの冬の夜へ。。。

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フランスに渡って、一年と少したった頃だったと思います。


現代音楽やりたい熱がとうとうぱんぱんになったのか、 ある日突然、レッスン室に行き、ロッカーで何かを探している師匠に、 わたし現代音楽やりたいです と告げていました。 はじめは、今まで自分が奏でた事のない音の響きの世界がただただ新鮮で、

その世界に驚き、そして発することに喜び楽しんでいました。

その後の専門課程のリサイタルでは、プログラムの中に、イタリアの作曲家、ペトラッシ(Goffredo Petrassi)のギターとのデュオ作品 ≪アリアス Alias per chitarra e clavicembalo (1977)≫ を選びました。

わたしがまだ現代音楽で頻発する拍子の変更、複雑な連符やリズムに慣れていなかったことも相まってか、アンサンブルが激難かしく、ギターリストと相当な時間をリハーサルに費やしました。

エマヌエル・バッハやスカルラッティの作品がプログラムを占める中、唯一の現代音楽の作品。

アンサンブルが難しく大変苦労した作品でしたが、リサイタルが終わる頃にはすっかり大好きな作品になっていました。

この頃より、現代音楽において求められる表現能力、繊細さ、読譜力などを、体感そして痛感し、現代音楽の奥深さ面白さにさらに惹かれるようになりました。

その後マスターに入ることになり、 何よりも面接がドキドキで、、 フランス人の友人たちに学長役をやってもらったり、 練りに練った想定問答を丸暗記したり、 廊下をブツブツと呟きながら歩く日々が続きました。 たくさんの方の応援と励まし、あたたかい協力のおかげで、マスターに入ることができました! 入ってからも講義でのフランス語のシャワーが尋常じゃなく、、脳みそが爆発しそうでした。。 話がそれましたが、 論文の準備をしていると、練習したい 練習していると論文が気になる そんな日々でした。

(早朝に散歩したアパート近くのオランジュリー公園) 隙間の時間にたくさんの現代音楽の楽譜や資料に目を通すようになっていました。 楽譜を読んでいる時、練習している時、現代音楽に触れていると、

自分の中の原始的な部分を揺り動かされ、熱を持ち、内なるエネルギーの様なものが高まっていく気持ちになりました。 作曲された時代は、今自分が生きている瞬間に近づいているのですが、

何かもっとずっとはるか昔、人類が誕生した頃、古代からのエネルギーを感じ、もしくは古代へと原始的な時代へと回帰していく様な感覚でした。 このエネルギーが今もわたしを動かしています。

(音楽院前の河は、夏には、ボートで水上散歩ができます。奥の建物が音楽院) 少しとんで、帰国後の話ですが、 ある時から、展覧会に行って気になった人の伝記を読む様になりました。 そしてその事が、たくさんのことを私に感じさせ教えてくれている気がしています。 それまでは、何か気持ちの良い日、良いことがあった日だけが、人生におけるいわゆる "良い日" であったり、"大切な日" だと、 この"良い日"というものが多い方が良い、多くしようと、 心のどこかで思っていました。 今では 気分の良い日、何もかも嫌になる日、希望を持つ日、悔しさでいっぱいの日、色んな毎日。 どんな日も愛おしく大切で、わたしにとってかけがえのない日だと感じるようになりました。 もちろん台風の真っ只中にいる時は、それは本当に心が痛くボロボロになり辛いのですが。。

(大好きな町、ストラスブール。カテドラルから住んでいたアパートの方角を臨む)

こんな色々ある毎日の中に(から)、芸術が生まれてくるんだなと。 バロック時代、またどの時代に生きた作曲家演奏家音楽家も、

日々の暮らしの中でおこる心の動きの中で、創作し表現していたのだと。 そうわかっていたはずでしたが、 何か最近やっと音楽を生々しく感じるようになった気がします。

このエネルギーを感じながら、 今この時代をともに生きる人々が生み出す音の世界を表現していくことを、

これからも続けていきたいと思います。 これから先、わたしが生きる中にチェンバロはあってほしいけど、 宇宙や世界を広く大きく感じて 色んな世界に心を向けて その中でこれからもチェンバロを感じて表現していきたいと思います。

......

なんだかとりとめの無い話になってしまいました。

裏庭の家庭菜園のトマトがまだ緑色ですが、ずいぶん大きくなってきました。

収穫が楽しみです。 つづく … !?

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バロック音楽どっぷりの桐朋時代。

その頃より、言語と音楽の関係性に興味を持ち、少しずつヨーロッパで学ぶことへと心が向いていきました。


(通奏低音に焦点を当てたコンサート、隣の隣の町の図書館にて  フランス)


留学先は、フランス。

毎日過ごすことだけで大変な日々もありましたが、全てがチャレンジの連続で、失敗しても上手くいかなくても、悩んでも、全ての経験がかけがえのないもので愛おしく感じました。


何よりも、ずっと硬く閉じられてしまっていたわたしの中の扉を開けることができたことが、本当に大きなことでした。


詳しくは → クラヴサン の記事を読んでみてください(^-^)https://mamikoclavecin.wixsite.com/m-somedaclavecin/post/クラヴサン




(試験の伴奏で、ストラスブールから少し電車に乗って、セレスタへ

試験は音楽院内だけではなく、別の学校や教会など、様々なところで開催されました))



音楽(芸術)と生活が強く結びついているフランス。


ふらっとおばあちゃんが買い物の帰りにコンサートを聴いていたり

小さな村のお祭りでも、赤ちゃんもおじいちゃんおばあちゃんも、たくさんの人が音楽を楽しんでいました。。



毎月の文化施設の無料開放日


夏のドイツとの国境ライン川の河川敷での野外でのオーケストラの演奏会


秋の現代音楽祭Musica


音楽院で、毎週の様に行われている演奏会やオーディション


オペラ座での古典のオペラからモダンのオペラ


ノエルのミサ


街に溢れる音楽




様々な音楽や芸術、そして日々の生活との芸術との関わりを強く感じることが、

わたしが今生きているこの時代、この瞬間に生まれようとしている音楽へ興味を持たせてくれたのだと思います。


(音楽院の前の河には、たくさんの水鳥が生息していました。毎年、赤ちゃんを育てるオオバン。

彼らの巣作りを、3階のレッスン室から覗いて応援していました。)



でも、、やっぱり、

重く硬く閉じられていたわたしの中の扉が、少しずつ開き始めていたからなのかもしれません。




つづく





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